武満徹作曲賞
2026年度 武満徹作曲賞 ファイナリスト決定(審査員:イェルク・ヴィトマン)
2025.12.5
1997年に始まったオーケストラ作品の作曲コンクール「武満徹作曲賞」は、毎年ただ1人の作曲家が審査にあたります。
28回目(2005年と2006年は休止)となる2026年度(2025年9月30日受付締切)は、116の応募作品から、規定に合致した、25ヶ国(出身国・出身地域)112作品が正式に受理されました。そして2026年度審査員イェルク・ヴィトマンによる譜面審査の結果、下記4名がファイナリストに選ばれました。
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©Marco Borggreve
この4名の作品は2026年7月12日[日]の本選演奏会にて上演され、受賞作が決定されます。
なお、譜面審査に際しては、作曲者名等の情報は伏せ、作品タイトルのみ記載されたスコアを使用しました。
ファイナリスト(エントリー順)
ズーイー・タオ(アメリカ) Ziyi Tao
[作品名]
If
If for orchestra
2002年、北京にてジャズミュージシャンの両親のもとに生まれる。7歳でピアノを始め、2015年ニューヨークに移住、翌年オルガンを始めた。2017~2021年までスペシャル・ミュージック・スクールでマックス・グラーフェに作曲を師事。ジュリアード音楽院では2021年ロバート・ビーザーに、2022~2024年までアンドリュー・ノーマンに、2024~2025年までニーナ・C・ヤングに作曲を師事。また、ネイサン・プリラマンとエドワード・ビロウズに電子音楽を師事。指揮をタナチャヤ・チャンファニットポルキット、マイケル・レッパー、ジェフリー・ミラースキーに師事。哲学をアーロン・ジャッフェとノア・ゴードンに師事。さらに、レイコ・フューティング、マルコ・モミ、ジョージ・ルイス、ハヤ・チェルノウィンを、自身の音楽的思考を大きく形作った4人の重要な師と考えている。作品では、概念的思考と直接的な感覚の同時性を探求している。現在、フランクフルト音楽大学修士課程に在籍中。
https://www.ziyi-tao.com/
松尾研志(日本) Kenshi Matsuo
[作品名]
管弦楽のための変奏曲
Variations for Orchestra
1994年、福岡県みやま市生まれ。2013年京都大学薬学部に入学後、独学で作曲を学び始める。2019年同大学卒業、薬剤師資格取得。現在は大阪府内の製薬企業に勤務。
ゾーホー・ツイ(中国) Zhehe Cui
[作品名]
最後の賭け
The Last Gamble for orchestra
1997年、吉林省延吉市生まれ。2020年に瀋陽音楽学院でJixue Wuに師事し学士号を取得。その後、ドイツで研鑽を積んだXie Xinに師事し作曲を学ぶ。中国の朝鮮族出身の若手作曲家として、異文化・民族的語彙と現代的な音響素材を融合させ、独自の音響言語を構築している。その作品は、音が視覚的に印象的な情景を構築する可能性を探求する。しばしば呼吸のような脈動と非対称的なリズムを骨格とし、東洋美学の抑制された繊細さと激しい感情の爆発との極端な対比によって緊張感を生み出す。また定評のあるヒップホップアーティストでもあり、大衆芸術の概念やジャンル横断的要素からインスピレーションを得て、それらを実験的な作曲に取り入れている。
https://zhehecui.com/
ジェヒョク・チェ(韓国) Jaehyeok Choi
[作品名]
超新星
Supernova for orchestra
1998年、天安市生まれ。人間の存在の内面と社会的葛藤を探求する作曲家。中央大学校でJaemoon Leeに師事し、音楽学士号を取得。洗練された構造と繊細な音響風景を通じて現代の傷跡と記憶を再構築し、存在の根本的問いを反映する作品を手がける。作品は、アンサンブル・ウィロ、西帰浦市吹奏楽団、釜山市合唱団などにより演奏されている。多様な編成で戦争、孤立、連帯といったテーマを扱う。代表作に、《新しい冷戦》、《和解不能》、《アリラン》などがある。
「2026年度武満徹作曲賞 譜面審査を終えて」
審査員:イェルク・ヴィトマン
【総評】
創造 ─ 神秘
創造的であること、作曲を許されていることは天から与えられた才能であり、祝福である。その一方で、作曲とは、もっとも美しい意味および文字通りの意味で手作りである。では私たち作曲家は、実際にはどんなことをしているのか?私たちは紙の上に丸や棒や線を配置し、演奏家に ─ そして最終的には観客に ─ 自分たちが表現したいことを伝えようとする。こうして何ページにもわたって書かれた音楽の記号に、歌手や器楽奏者が生命を吹き込んで音にしてくれるのは、神秘的なプロセスでありつづける。私たち作曲家はこうした音楽の記号を可能なかぎり明瞭かつ正確に書き、音楽家が理解し、そして第二の翻訳のプロセスとして、観客、聴き手に伝わるように努めている。これが私たちの創造的な仕事の技術面であるが、とはいえ、技術面にはとどまらない。私たちの内にはどうしても外に出ねばならない何かがあるのだ!すなわち音響的または形式的な構想など、自分の音楽的なアイディアをまさにこの方法 ─ 他の方法ではなく ─ で表現したいという揺るぎない決意である。こうした音や楽器編成、形式について決断を下すことは、きわめて個人的かつ独自のものなのだ。私は芸術によって自己表現するすべての人々、すなわち画家、詩人、作曲家、俳優、音楽家など、自己を外在化し、心の奥底にある感情や考えを他と共有する人々に対して、深い敬意をもっている。
今回、「武満徹作曲賞」の応募作の譜面を読み、検討する上でも、同様の思いをもち、一人ひとりの芸術的な声に対して敬意をもって行なった。音楽の語法や美学がいかにすばらしく異なっているとしても、それぞれの譜面、ひいてはその背後にある人物に対しても正当な評価を下すことを心がけた。それでも最終的には、いろいろと比較評価した上で、決断しなければならない。それはつらいことだ。提出された譜面の水準は、ごく一部を除いて、ある一点において、すなわち現代の音響的可能性や演奏技法に関する知識と熟達度において著しく高かった。言い換えれば、ほとんどの人が驚くべき熟達度をもってオーケストラのために作曲することができていた。応募作品の大多数は、複雑で微細に区別されたテクスチュアで展開される。これは賞賛すべきことだが、逆説的に、こうした高度に作り込まれたテクスチュアの背後で、ひとりの個人、パーソナルな声、すなわち作品の背後にいる人間を聞き分けることが難しくなる。別の言い方をすれば、あるとき大作曲家リゲティがモーツァルトのミサ曲を研究していたときに「この曲は新しいか?」と自問したという。そして「必ずしも新しくはない、でもまったく個性的でユニークだ!」と結論づけたのだ。私もみなさんに、自分の声を信頼し、それに耳をすまし、それを音として鳴らすように強く促したいと思う。19世紀半ばに、近代への扉を大きく開いた詩を書いたボードレールは、美とは何か?と問う。そして彼はすぐに謎めいた答えを返す ─ 「単調さと均斉」。だがつづいて、「驚き」!と。ボードレールの表現を借りるならば、今回私は無数の形の完璧に均斉のとれた、「整った」テクスチュアは見たし、聴いてきた。でも、驚きのあるものはそれほど多くはなかった。自分の個性が人々の気を悪くさせることを恐れず、もっと勇気をもってほしい!あなたの音楽語法が明らかに他のものとは異なり、しばしば現在のスタンダードとされているテクスチュア中心の語法ではないほうが、認識されやすくなる。またテクスチュア中心でも、個人的かつユニークなものを表現できるだろう。
そして物事の本質として、私の選んだ曲も当然ながらきわめて個人的であり、そうであるべきである。それが「武満徹作曲賞」に込められたすばらしい理念なのだから。別の人ならばまったく違う判断をしたかもしれないし、それもよいだろう。
「武満徹作曲賞」に参加してくださったみなさんに心からお礼を申し上げたい。多くのみなさんを失望させてしまうことは心苦しく思っている。私自身も若いときにいくつものコンクールに応募し、一度も選ばれなかったので、その気持ちはとてもよくわかる。でも人生の道は人それぞれで、予測はできない。目線を前に向けつづけなければならない。前進あるのみ!
2026年度「武満徹作曲賞」の本選で演奏される作品を選考させていただいたことは光栄かつ喜びであり、東京でこれらの作品を聴くことを好奇心と期待をもって楽しみにしている。
【本選演奏会選出作品について】(エントリー順)
■ If
オーケストラのための《If》は歪んだノイズと影の音からなるラディカルな作品である。ときに、奏者によって演奏のジェスチャーが力強く示唆されるが、音は出さない(シューマンの《フモレスケ》op.20における〈内なる声〉が、奏者が弾きながら想像するもので、音には出さないのと似ている)。その結果創られるサウンドスケープは、しばしば沈黙の縁(ふち)をさまよう ─ ただし、短く激しい噴火や揺れによって繰り返し中断される。作品はむき出しで、いわば開胸手術を想起させる。この音の世界では、ノイズと散在する短和音は矛盾しない。奏者にとっても聴き手にとっても、強烈かつ挑戦的な音響の旅である。最後には、沈黙が残る。
■ 管弦楽のための変奏曲
《管弦楽のための変奏曲》は、形式的に明瞭で端正な作品である。ゆっくりとした冒頭とゆっくりとした終結部のあいだに、技巧の脈打つセクションが置かれる。したがって、シェーンベルク的な意味での管弦楽のための一連の変奏というよりも、リズムと技巧に酔いしれる明瞭な管弦楽曲といえる。この変奏曲の作曲は、哲学に裏打ちされた知的な行為というよりも、実践的で楽しい音楽作りの行為といえよう。
■ 最後の賭け
《最後の賭け》は、大胆かつ独創的、実験的で、伝統的なオーケストラ曲というよりも、半演劇的な実験作品のようである。また、洗練されたオーケストレーションというよりも、独創的なアイディアを一貫した独特な方法によって追求する行為である。現代音楽では ─ たとえばマウリシオ・カーゲルの作品において ─ 演劇やユーモア、または音楽外的な要素を取り入れた曲はしばしば新鮮かつ型破りな道や視点を切り開いてきた。作曲コンクールでは、慣例から外れ、異なる方向から考えられた作品もまた、聴いてもらう機会に値する。
■ 超新星
《超新星》は知識に基づいて構想され、技巧的で細かなニュアンスに富んだオーケストラのための作品で、もっとも静かなパッセージにおいても豊かである。豊潤な響きにもかかわらず、アフォリズム風な簡潔さをもった1つのモチーフ、すなわち原始的な小さな音楽的細胞に固執している。それはある意味において、純粋な音そのものの祝祭である。現代の絵画において色や比率、動き、輪郭など、純粋な形式そのものが表現の主役となっているのと同様に、この作品の作曲家はまさにそれらの要素を彼の音楽の中心に置いている。自信をもって作り上げられている。
2025年11月、ミュンヘンにて。
イェルク・ヴィトマン
(訳:後藤菜穂子)
◎本選演奏会情報
2026年7月12日[日]15:00
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
コンポージアム2026
「2026年度武満徹作曲賞本選演奏会」
審査員:イェルク・ヴィトマン
指揮:杉山洋一
東京フィルハーモニー交響楽団
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